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資料2-3  仙台堀川公園でのカルガモの繁殖状況 -追補- (NL通信掲載予定稿)




仙台堀川公園でのカルガモの繁殖状況 -追補-
「人間の親切をカルガモはどう受けとめているのか」


前号まで2回にわたって2014年に仙台堀川公園で何羽のカルガモがどこでヒナを育てたのかをご紹介しました。本号ではカルガモと私たち人間との関係について、ふれてみたいと思います。

図1 Eのヒナ、魚の死骸をつついている

仙台堀川公園では、多くの鳥がヒナを育てています。中でもカルガモは、生まれたてのヒナが親鳥の後を追いながら泳いでいるさまはいかにも愛らしく、誰もが大きく育ってほしいと関心を寄せて見守っているようです。
見ている人たちの話を聞きますと、水草も茂っていない水路では、ヒナが食べるものが無くかわいそうだという声がよく聞かれます。しかし、私が観察している範囲では、コンクリの壁についた藻のようなものを良く食べており、飛んでいる虫を食べていることもあります。水の中にもカルガモたちにとっては餌になるような昆虫などの生き物がいるかもしれません。2区のE (注:仙台堀川公園を横切る道路により東から西まで順に区分したもので、北から2番目の地区を2区とし、そこにいた、昨年5番目に私が子育てを確認したカルガモ親子を便宜的にEとします)のヒナが、一時的に親から見捨てられて1羽だけで生活をしていたときには、死んだ小魚を食べようと必死に突っついているところを目にしました。(図1)ヒナが育つまでの食物が十分にあるかどうかはともかく、食べ物はそれほど深刻な問題ではないと思います。かわいそうだからと、人間が人工の食物を与えると、ヒナにとっては消化ができないか、カロリーが高すぎるために多大な負担となり病気や死亡の原因になりかねません。

図2 2区3区の拡大図

図3 水門全景(2015年撮影)図4 初認時のカルガモ親子

多くのカルガモのヒナは生まれてまもなく死んでいきますが、天敵に連れ去られるのではなく、いつの間にか弱って死んでいくものも少なくないようです。生まれながらに体力がないヒナだったのかもしれませんが、「親切な」人間が「ヒナの食べ物を心配して」与えてくれたパンやポップコーンなどを食べてしまった結果、生きていけなくなってしまった可能性を否定できるでしょうか。皆さんがカルガモの天敵にならないようにしてくださいね。

前号で紹介しましたが、2014年に大人になって飛立つことができた3組のヒナのうち2組は道路で区切られた地区と地区の間を移動していました。地区と地区の間を移動したヒナは全部で3組いましたが、2組は飛立ち、1組は全滅してしまいました。
今回はこの全滅してしまった1組について詳しく見たいと思います。なぜなら、このヒナ(便宜上Fとします)の移動はカモが自ら行ったのではなく、人が「親切に」安全な場所に「移してあげた」ものだったからです。

私は、このFのヒナを2区の北側の長い水路の南端にある水門のような場所(図2の(1)、図3)で、2014年7月1日9時45分頃見つけました。(図4)付近の人の話では2~3日前に同じ場所で生まれたようでした。水門は6m四方程度の場所で周りをコンクリの壁で囲われていますので狭く、生活は困難だろうと思われました。
しかし、同日午後1時30分頃再びその地を訪れますと、親子とも元の場所にはおらず、3区の一番北にある水路3a(図2の(2))に移っていました。(図5)

図5 3区に移動した親子


午前中に見た水門の南には200mほどの親水公園があります。水門から出て親水公園を通り、2区と3区の間を通っている大通りを越えて、ヒナが全員短時間で3区の水路に移るのは人為的になされる以外では不可能です。「親切な人」が、カモの親子が狭いところにいるのを気の毒に思い、ヒナを移してあげたのでしょう。
次に私が見たのは7月3日ですが、親鳥が1羽、3区の北から三番目の水路3c(図2の(4))で、しきりにヒナを呼ぶように鳴いていました。ヒナは2羽少なくなり3羽が親鳥のいる水路のすぐ北隣の、3区の北から2番目の水路3b(図2の(3))にいて、鳴きながら親鳥のそばに行こうと右往左往している様子でした。1日に2区から3区に移動していますので、また誰かが3aから3bに移動させたのだと思いました。

図6 3bの水路(2015年撮影


しばらく見ていると、3cにいた親ガモが3bと3cの間の道まで飛び上がってきて公園内の通路でしきりに鳴いてヒナについてくるよう促した後、再び3cの水面に戻り鳴き続けていました。
3羽のヒナは、呼びかけにこたえて7-80cmの高さの壁をよじ登ろうと必死に努力していましたが少し登ってもすぐ水に落ちてしまいました。ところが、1羽が、壁につけられた浅い溝や、壁が直角になっている部分を伝い壁の中間の位置くらいまで上がることに成功しました。このような急なところをヒナが登るのを見たのは驚きでした。しかし、壁の中間点まで登っても一番上まではほぼ垂直な壁をさらに1m近く登らなければならず、ヒナには困難であることは明らかでした。残る2羽は中間点までも登れませんでした。

図7 急な壁をよじ登るヒナ図8 ようやく1羽のみ中間の段に登れた
(2羽が左下に見える)


大変興味がありましたので翌4日も見に行きましたが、今度は前日に親がいた3c(図2の(4))にヒナ3羽が移っていました。3cには、水面から上部の道路の高さに上がれるように「すだれ」が、坂のように設置されていました。おそらく前日の様子を見た誰かがヒナを親鳥のいるところに連れて行くと同時に、また親が誘ったときに、ヒナが容易に壁を登れるように準備をしてあげたものでしょう。親鳥はさらに南の3区最南端の水路にいて前日と同じようにヒナを呼んでいました。・・・そして、私が7月8日に見に行ったときには親子とも、どこにも見当たりませんでした。

このFの親がヒナに無理な移動を強いたのは、このカモだけの特別な事例なのかもしれません。また、もしかしたら、一般的にカルガモの親としては何らかの理由で移動する必要があり、それに応じられるような環境でないと生存が難しいということなのかもしれません。しかし、このように考えることはおかしいでしょうか。穏やかに水門の中で親子が過ごしていたが、ある日突然大切なヒナを遠くの水路に移されてしまった親が、またこのようなことがあると大変だからと、少しでもその危険な水路から遠ざかるために、次の水路にヒナたちを誘導した。しかし、そこでもまた恐ろしい人にヒナを触られてしまった。ヒナを助けるためにはなんとしてもヒナをつれて逃げなければならない・・・と親ガモは幼いヒナに次から次へと移動を強いざるをえなかった。これまで長く鳥たちを観察している中で、Fの親がヒナを呼ぶ鳴き方が尋常ではないように思われましたので、私はこのように考えるに至りました。

呼ばれるヒナは、小さな体で毎日壁を登っては落ち、登っては落ちを繰り返して体力を完全に消耗してしまいます。また、人に保護されることは、小さなヒナにとっては、人が想像できないほど、とてつもなく大きな恐怖となり、心身ともに疲れ果てて命を縮めてしまうことにつながりかねません。

もし・・・という仮定の話をするときに、この親子がずっと水門に残っていたとしたら、狭い環境だったが皆元気に育ち無事飛立っていったに違いないと考えることは、悲しすぎますので、天敵から逃げ場がなく、狭くて餌も限られているので、ヒナは1~2日で死んでしまったに違いないと考えて見ることにしましょう。
Fのヒナは、人が「助けてあげた」ことによって、もしかしたら1~2日は長く生きのびることができたのかもしれません。
もし、人が助けてあげたから1~2日長生きできたのだとした場合、果たしてカルガモの親子にとって、人に移動してもらい1~2日の寿命を延ばすことが本当に幸せだったのでしょうか。
ヒナが人にとらわれるという恐怖心から、必死に親について逃げたいと体力を消耗し、無力感とともに死んでいったのでなければよいがと願うばかりです。

私たちの身の回りに、野生の生き物が安心して棲める環境を整えてあげることは重要ですし、そのような配慮は必要でしょう。しかし、生き物がその環境になじむように努力しているときには、相手を野生の生き物として尊重し、餌も棲家も彼らにまかせて、親切も邪魔もしないということを私たちが意識していかなければ、彼らの本当の幸せがくることはないのかもしれないと私は思います。皆さんはどのように考えますか?

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